「赤いトンネル」
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途中で止めたものに再び臨むのはとても難しいです。
難しいので嫌いで、嫌いなので出来るだけやらないのですが、描かないと終わらないのでやってみたらやっぱり難しいので嫌いです…。



下描き
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「夕暮れのグラデーションをバックに桜紅葉を」というのが頭にあって、その夕暮れのグラデーションをカッチリと決めてしまおうと思って、今回は背景から塗り始めてみました。
木々の赤い葉をもう少しもっさりと多めにした方が良いか迷いましたが、落ち葉が舞うタイミングということでこんな感じになっています。
色塗りの恐怖感というか苦手意識が徐々になくなってきていたのですが、やっぱりダメだな難しい。


途中で止めることになる理由なのですが、肌寒い季節なので丈の長いカーディガンを着せてみたのですが、もともと描くのが遅いにもかかわらず下描きを終えたところで「この衣装でもう一枚描いておきたいな」と思ってしまったのがいけなかった。
それが前回の更新で書いた「別の一枚」なのですが、下手で下手でどうしようもなくて…。

かわいくないんだよな。かわいくならないの。

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最初のラフはこれと同じポーズで顔が正面になるような角度だったのですが、整えてみるとかわいくならない。
「何がいけないのかなあ、顔かなあ」と思って表情を描き直すけれども、次の日になって見直すとかわいくない。
手の位置なのか、足の位置なのか、動きそのものがこの表情にあってないのか、いろいろ直してみても次の日になって見直すとかわいくない。
同じラフからもう一度、下描きを起こしてみるけれどもかわいくない。
そんなことを1週間くらい毎日やってもどうにもならなくて。
基になるラフを使わず角度を変えてゼロから描いてみたものが上の絵なのですが、やっぱりかわいくないんだよな。もっともっとかわいいんだよ。
もう毎日、オネエ言葉の自分に罵られてたですよ。罵ってたですよ。オネエ言葉で。



ほぼ同じことを毎日繰り返していると、そのことに対する「今の自分」の感覚のピークが認識できたりします。
「つもり」なのかもしれないけれど。
毎日、繰り返しているので、どんなときにその感覚のピークに至るのかも何となくわかったりします。
「つもり」なのかもしれないけれど。


「30秒ドローイング」の話で、6月の更新で「感覚」という内容で書いたのこととほぼ同じなのですが、感覚のピークのときには「見える」「わかる」「動く」がピタッと「はまり」ます。
ただ、感覚のピークで描いたものとそうでないときに描いたもの差なんて大したことなくて、後で比べてみても他の人が見て認識できるような差はたぶんなかったりします。
強いて挙げるならば、「見える」「わかる」ので手数が少ないことと迷わないことと、「動く」ので1本の線の中でペンの微妙なコントロールができていることなのですが、それは「今の自分」の経験や技術のうえでのできごとでしかなくて。

その「今の自分」の感覚のピーク、あるいは近い感覚を「常に」もちたい欲求も出てきて「どんなときにそれが」なんてことを考えはじめる。
どうやらペンを長い時間握って描いているうちに感覚のピークがくることがわかるのだけれど、漠然と30秒ドローイングを繰り返していてもそうならないこともある。長い時間をかけてそれっぽい「定型」の色塗りをしていてもそうならなくて。

それで6月の更新の「感覚」のできごとがあって、このときは「必然」という言葉で書いているのだけれど「ここはこうでなければならない」というものを追っていったとき、繰り返していったときに感覚のピークに至るんだなということがわかってきて。
例えば、普段描いているものやここに載せている下描きは一番細い線で描いているのですが、線を重ねてその中に理想の「とるべき線」が納まっている状態はできるだけ避けるように心掛けていて、「それだったら洗い出そうよ」と「今の自分」の中でかっこよかったり、かわいかったり、美しかったり、いろいろな「ここはこうでなければならない」を探しています。それがデフォルメされた対象であってもそのデフォルメの度合いの中で、この体形の、この感情の、このポーズの、この小さなしぐさのときにとるべきシルエットのとるべき線はこれだろうか、これだろうかということを繰り返しています。
繰り返しているうちに感覚のピークがきてイメージするものが「見える」し、「わかる」のでそのとおりに「動く」ようになったりします。

その「洗い出し」の繰り返しを長い時間続ければ感覚のピークに至るんだというのがわかったうえで、7月からSAIでも30秒ドローイングをはじめてみたら、ハイクのお絵かきツールに比べてペンのコントロールが楽だからかな?短時間で「見える」ような感覚になってきて。見本がそこにあって「とるべき線」の正解が見えているというのも大きいのかもしれないけれど。
「見える」感覚への到達時間が短くなってそれを繰り返していると、今度はそれに慣れて短時間で「わかる」し、「動く」ようになって。

ここ2ヶ月くらいは、SAIでの30秒ドローイングで感覚のピークやそれに近い感覚を整えることができるようになってきたのですが…面白いよね。練習とか準備運動としてやっていい30秒ドローイングがやっと練習、準備運動になったのが本当に最近なのです。

で、ここ1ヶ月くらいは感覚のピークのときに30秒ドローイングを描きながら「これなら配信で人の目に触れても恥ずかしくないかも」とか思っちゃったりするんだけれども、描き終えたものを後から見れば「ダメだなぁ…」と思うし、描きながら別の感覚というか思いも出てきているのです。
「(どうにかすれば)30秒でももっと描ける」。
本当にそんな感覚があって、「どうにかすれば」がわからないんだけれども「もっと描ける」気がしています。

30sec. ADVANCE MODE
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「わかる」という言葉を使ってしまっているんだけど、これは危険で。
多くの場合、わかっている「つもり」のことの方が多い。
そんな視点も忘れないように。いつも忘れないように。


長く描いてきた人やもっと本格的に体系的に積み上げて学んできた人にとってみたら、こんなことをやっていたり書いていたりすることが滑稽に思えるかもしれないけれど、自分でも滑稽だろうなと思ったうえでいつも書いていたりします。
そんな視点も忘れないように。いつも忘れないように。


自分の定型を見つける、作ることができるのはいつになるでしょうか。
定型が出来上がったうえで魅せる線、勢いを感じることのできる線を見つけられるのはいつになるでしょうか。
見回せば目標になるものも座標を知るすべもたくさんある。
長い長い。


長いね、また。文章。

11月中に何か思いついて描けたら更新しよう。
12月は「白いトンネル」と季節イベントです。